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 1.先土器・縄文時代  2.弥生時代  3.古墳時代  4.飛鳥時代  5.奈良時代
 6.平安時代  7.鎌倉時代  8.室町時代  9.戦国時代 10.安土桃山時代
11.江戸時代 前期 12.江戸時代 中・後期 13.さいたまの江戸 14.江戸時代 幕末 15.明治時代
16.大正時代 17.昭和時代 18.平成時代 19.韓国  20.その他
さいたま市・中世の館     
           埼玉県・さいたま市の中世館跡を訪ねて 〜  

河越館跡川越市) 鎌倉から南北朝期に活躍した河越氏の館であり約2兆四方の規模を持つ。館西部、西北部の一部に土塁が残り、館内には、鎌倉末期開山と伝えられる時宗常楽寺や、館西側には河越荘の鎮守新日吉社(現日枝神社)が平安末期以来現存している。この当時、河川の氾濫原等に武士らが積極的に館を築き、開発を進めるのを一般的としていた。

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現在、史跡の整備が進められている  
館の西北にある土塁跡
  館のすぐ隣に入間川が流れている。交通の要所であった。


さいたま市の中世館跡

さいたま市内にも室町時代(中世)の館跡が多数存在する。

水判土館(西区水判土)
 誰の館か不明。現在は慈眼寺が建つ。1562年、慈眼寺が後北条方の焼き討ちにあったと記録がある。高台にある。
  春日氏館(見沼区中丸) この付近
 見沼から入り込む大きな谷に突き出た台地上にある。この館から南方の松野氏館へ向かう道は、鎌倉街道と呼ばれていた。南北朝時代より、春日氏が当地を領していたと言われているが不明な点も多い。
 

松野氏館(見沼区御蔵) この付近
 
館の南から東側にかけて鎌倉街道と呼ばれる古い道が通る。発掘調査では、土塁・空堀・礎石を伴う建物跡の一部が検出された。近くに、市道や市神様があり、片柳の市が想定される。 

  鎌倉公園となりに、土塁の跡が残る。今は宅地化されている。
伊達氏館(大和田陣屋
 戦国時代末、岩槻城の家老、伊達与兵衛房実の館である。
  現在もお宅になっており、館の跡が見られる。東西250b、南北150b。   土塁は人の背以上の高さである。   この付近では、最も高い19bの水準点である。見沼の低地を挟んで、対岸に寿能城土呂陣屋があり、相互に補完関係にあって、岩槻城防衛上の重要な拠点であった。
  山内神社の近くにある秋葉神社   金子山城(金子山・高野陣屋) 西区高木 北・西・東の三方を低地に囲まれた台地上にあり、館を構えるのに適した立地条件である。  

土呂陣屋
大規模な土塁が残る。中世の所産である。南北朝時代か、室町時代の掘立柱建物跡や井戸などが見つかった。

 

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