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地方の浄土信仰    
           浄土信仰(地方への広がり)
  奥州藤原氏、平泉・富貴寺大堂を訪ねて 〜

奥州藤原氏

奥州が産する豊富な砂金や、日本一の駿馬とされた糠部の馬産。さらに都では垂涎の的となる高級馬具材のアザラシの皮や、矢羽根として珍重された鷹の羽といった、北方世界との交易で得る産物を含めたものだ。莫大な富を生む北の経済システムを安定的に維持している。

中尊寺(岩手県平泉町

天台宗 東北大本山。12世紀のはじめ、奥州藤原氏の初代清衡公が多宝塔や二階大堂など多くの堂塔を造営した。その趣旨は前九年、後三年という長い戦乱で亡くなった人の霊をなぐさめ、仏国土を建設するものだった。

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中尊寺 入り口
  ここから、急な坂を上っていくと…。
中尊寺総門跡          月見坂を上がっていくと石碑が建っている。  

東物見からみる眺め      衣川を渡る鉄橋が見える。この衣川の関辺りが、昔国境線であったといわれる。

 

中尊寺本堂

 

本堂に安置されている、阿弥陀如来像

 

金色堂
 大きさ55m四方の漆の上に金箔をはった建物であり、堂内には3つの須弥壇があり、藤原4代の遺体・首級が納められている。

 

この覆堂(おおいどう)の中に金色堂がある。中尊寺創建当初の唯一の遺構。金色の阿弥陀堂は、まさに極楽浄土を現世に表している。

金色堂の隣にある、松尾芭蕉の句碑
ここ中尊寺を訪れ、「五月雨の降り残してや光堂」の句を残した。

   

経堂                秀衡発願の金字一切経など、日本の写経史上の頂点を示す、「中尊寺経」を納めていたお堂。

 

旧覆堂               1965年現在の覆堂が建てられるまで、金色堂を覆っていた。             

   
旧覆堂内部の様子
  白山神社能舞台
 重厚な茅葺き屋根で、風格がたたよう。白山神社は「吾妻鏡」に、「中尊寺の北方に白山を勧請す」とある。
  願成就院宝塔
 高さ130pあまりの石造りの宝塔。平安時代後期のもの。
   


毛越寺浄土庭園(岩手県奥州市

藤原基衡によって建立された。「吾妻鏡」によれば、中尊寺をもしのぐものと記されている。堂塔が40あり、僧坊は500あったといわれている。境内中央にある大泉が池、南にある南大門の中心を軸として、中島・金堂(円隆寺)が配置されていた。大泉が池には中島・州浜・築山・遣水などがあり、平安時代の典型的な浄土式庭園遺構である。浄土庭園とは、寝殿造り庭園から発展し、仏堂と一体となって「仏の浄土」を表現している。

すぐ隣りに広大な浄土庭園跡が広がる。
毛越寺入り口
現在の本堂
 本尊は、薬師如来像(平安時代作)
      
南大門跡
 正面に池、金堂円隆寺を見る。今も礎石が残り、2階建ての
  大泉が池州浜(すはま)州浜は、海岸線の砂浜の優雅な美しさを表現している。   築山(つきやま)
 水面より約4mの高さに築かれ、岩山の姿を造り出している。 
 
毛越寺の隣に目をやると…
遣水(やりみず)
 日本唯一の平安庭園の遺跡。曲水の宴の舞台となる。
  遣水が池に注がれる      池に水を取り入れる水路であり、玉石を庭に敷きつめている。その美しい流れとせせらぎは、浄土庭園に優雅な趣を添える。       観自在王院跡          藤原基衡の妻の発願で、浄土庭園に水をたたえ、優雅な花のような寺院であった。


柳之御所遺跡(平泉館)無量光院(岩手県奥州市)  

柳之御所遺跡藤原秀衡の館といわれる平泉館の場所とされている。
 高価な陶磁器が出土しており、この当時、高級陶磁器が大量に流れ込む都市は、京・博多の他、平泉しかなく、平泉の繁栄の証となっている。
すぐ近くにある 無量光院…  藤原秀衡が浄土思想にもとづき、宇治の平等院鳳凰堂を真似て造った。→
儀式の飲食で使う、カワラケも多数出土しており、政治の中枢として行事が頻繁に行われていたことがわかる。 現在も発掘・整備がされている。広大な土地である。
無量光院復元イメージ 
 池に浮かぶように左右に翼楼を伸ばす優美な阿弥陀堂が建っていた。寺院の大きさは平等院を越えることも発掘によってわかったそうだ。
  左のイメージと同じ角度の様子。現在も発掘が行われている。   池から中の島をのぞむ。茶色が池、緑の部分が島である。   阿弥陀堂の跡
 極楽浄土を疑似体験する場で、堂内は、浄土を描いた鮮やかな壁画で飾られていたという。          


高館義経堂(たかだちぎけいどう)(岩手県奥州市)  

奥州に落ちた源義経の館があった地と伝えられている。

   
義経堂…1683年、仙台藩主伊達綱村が義経を偲んで建てた。堂には、甲冑姿の義経の木造が安置されている。 北上川が側を流れ、景色も雄大である。松尾芭蕉がこの地で、「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んでいる。
富貴寺大堂(大分県)           

国宝・大堂は西国唯一の阿弥陀堂であり、九州最古の和様建築物である。内陣中央には本尊阿弥陀如来坐像が安置され、堂内の壁画は平安三壁画の一つに数えられている。

阿弥陀如来座像
      本宮磨崖仏
 磨崖仏…溶結凝灰岩をけずる。天台宗の山岳仏教。(平安後期〜鎌倉時代)

 

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