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 1.先土器・縄文時代  2.弥生時代  3.古墳時代  4.飛鳥時代  5.奈良時代
 6.平安時代  7.鎌倉時代  8.室町時代  9.戦国時代 10.安土桃山時代
11.江戸時代 前期 12.江戸時代 中・後期 13.さいたまの江戸 14.江戸時代 幕末 15.明治時代
16.大正時代 17.昭和時代 18.平成時代 19.韓国  20.その他

  下野・常陸         
                    下野常陸國を訪ねて 〜         
下野国分寺跡薬師寺跡          

 国分寺…奈良時代の741年、聖武天皇は仏教の力によって政治の乱れや疫病を鎮め、国家の平安を守ろうと考えて、全国に国分寺(金光明四天王護国之寺)の建立を命じた。寺には20人の僧が置かれ、鎮護国家の経典である金光明最勝王経が読まれた。南門、中門、金堂、講堂は南北一直線上に建てられ、東側にあった塔は壮大な七十塔であったと推定される。

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礎石が残っている
 
下野国府跡出土の木簡
 
上級役人の食事
 
上級役人の食事
庶民の食事
 
庶民の食事
   
下野薬師寺跡
 7世紀終わりごろに建てられた。761年には僧の受戒のための戒壇が置かれた。
 
回廊の礎石
 
回廊の復元
   
道鏡塚を見に、龍興寺を訪ねた    
    道鏡塚(龍興寺にある)
 道鏡は、宇佐八幡宮神託事件で下野薬師寺に流された。
  道鏡塚
 下野薬師寺の別当職に移され、二年後遷化し、この塚に重葬された。
   
常陸国分寺国分尼寺      
国府跡の隣に……
今は 小学校になっています
礎石が残っている
南大門跡から金堂・講堂をのぞむ

鹿の子遺跡(奈良時代)   に復元されている

  鹿の子遺跡発掘された建物は、住居ブロック、工房ブロック(鉄品や銅製品を作った作業場)、官衙ブロック(役所的な機能をもつところ)の三つのブロックに分かれており、この遺跡は、鉄製品を中心に製造していた特殊な構造を備えた建物跡が発見され、常陸国の官営工房跡と考えられる。この遺跡から発見された漆紙文書(漆を入れた容器のふた紙に使用された文書)は、奈良時代から平安時代初期の役所や庶民の生活を知るうえで重要なものである。

鹿の子遺跡(常磐自動車道建設の際に発見されました)
出土した、鉄製品です

鹿の子の村の様子 (復元)

村には環濠が周りを囲んでいる
奈良時代の庶民の住居(竪穴式住居)      
竪穴式住居の内部
 奥にかまどがある。
 
壁は土塗壁、床は土間床である。武具や鉄製品などの仕上げ作業の工房であった。
特殊な作業棟
室内の様子
           
高床式倉庫
 官衙の貴重品を収納していた

 

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