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16.大正時代 17.昭和時代 18.平成時代 19.韓国  20.その他

大宰府・多賀城     
                  大宰府多賀城を訪ねて 〜
        
太宰府(福岡県大宰府市)を歩きました        

663年、百済救援の日本軍は白江村で大敗したため、敵の侵攻に備えて水城大野城を築いて、それまで博多湾岸にあった那津官家をこの地に移した。これにより「大宰府」が誕生し、九州全体を統括するとともに、外国との交渉窓口の役割を担ったと考えられる。大宰府の最高責任者は太宰帥で、1000人を超える役人がいて、政務を執っていた。

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大宰府政庁跡            多くの礎石の上に建っていた。
政庁正殿跡に建つ3つの石碑
 正殿とは都の大極殿にあたるもので一番重要な建物である。
近くにある、太宰府天満宮に行った。
後殿跡と敷石
太宰府天満宮          菅原道真を祀っている。
          多賀城               

(宮城県多賀城市)奈良の平城宮跡・九州の大宰府跡と並ぶ日本の三大史跡に数えられ、面積は約102ha、1辺約900mの築地塀で囲まれた中央に、約100メートル四方の政庁が設けられ、儀式などが行われていたと考えられる。多賀城の基本的な性格は@福島・宮城・岩手県地域を治める陸奥国府、A出羽国まで管轄する広域行政府、B蝦夷対策を進める中心拠点と言える。

多賀城跡
  遠くに政庁跡が見える。
多賀城跡の全景
外郭南門跡
 外郭南門から政庁へと向かった。
しばらく歩き、政庁への階段をあがると…
多賀城碑(壺の碑)
高さ196センチ、最大幅92センチのこの石碑は覆屋の中に西を正面にして立っている。京などから多賀城までの距離及び大野東人が多賀城を創建したことなどが141文字で刻まれている。
政庁に向かう階段
政庁復元模型と 政庁跡
 
政庁の門跡
   
正殿
関東から陸奥の国に入るには、太平洋側では、白河の関を通る必要がある。
正殿の上からの様子
白河の関跡
 福島県白河市

 

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