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大野城跡・水城跡        
         大野城跡水城跡(福岡県太宰府市)を訪ねて 〜

大野城…665年から造られた朝鮮式山城。頂上域全体を囲むように土や石の城壁を巡らし、その中に約70棟の建物があり、そのほとんどが高床の倉庫。城壁は約8q。前年に造られた水城とともに太宰府を守っていた。

大野城が築かれた理由…663年、と手を結んだ新羅百済と日本の連合軍は大敗する白村江の戦いが起こった。唐と新羅の侵攻を恐れた日本は、北部九州を中心に防御網を作った。

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大野城・水城・太宰府との関係 
大野城からの眺め
大野城の一番高い部分
一番高い部分にある土塁   城壁は尾根の部分は土塁(土をつき固めて積み上げる工法)
大野城中腹の百間石垣に行ってみた。

尾花礎石群
 
10棟の建物の跡(倉庫跡)周辺からは炭化した米が見つかっている。倉庫内には米や武器などを収納していた。柱が立っていた石だけ残っている

尾花礎石群の説明板
百間石垣…山腹部を石垣とした城壁で長さ180mある。
八ツ並地区へと移動した…
百間石垣
 城壁は尾根の部分は土塁、谷の部分は石垣を築いている。
百間石垣
八ツ並地区の様子
 14棟の高床の建物の跡が礎石として残っている。   
城の入り口、太宰府口城門に移動した…
八ツ並地区の説明板
城門の跡が残る

 

水城跡…664年、福岡平野からの外敵を防ぐため、吉松丘陵と国分の丘陵をふさぐように築かれた土塁。全長1,2q、幅77m、高さ約9m。土塁には門が2カ所造られた。「日本書紀」に「大堤を築きて水を貯えしむ。名付けて水域という」土塁は上下2段に造られ、横からの断面は凸字形をしている。

水城跡
 東門礎石…礎石は240×80pの長方形、東門は石垣を伴った城門、太宰府の入り口として交通の要衝。       
  水城跡…664年に築造された土塁。低地1,2qをふさぐように造られている。   手前…木樋跡
 土塁には内濠から外濠(博多側幅60m)への導水施設である木樋が数カ所あった。
  水城跡
 土塁を通過する官道には東西に城門があった。
水城の構造
先ほどとは、反対から水城を眺める。一直線につながっている。
少し高台から水城を見る。
水城跡から大野城跡を見る
 大野城が山の上にあるとわかる。

 

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