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三内丸山遺跡      
                 三内丸山遺跡青森市)を訪ねて 〜

約5500年前から1500年あまり続いた、縄文前期〜中期の遺跡。野球場の建設によって、大規模な発掘調査が行われ、大集落跡からは、たくさんの竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、掘建柱建物跡、大量の遺物がすてられた谷(泥炭層)、大規模な盛土、大人の墓、子供の墓、土器造りのための粘土採掘穴などがみつかった。また、谷からみつかった動物や魚の骨、植物の種子や花粉からは、当時の自然環境や食生活などを具体的に知ることができる。さらに、ヒスイやコハク、黒曜石は遠方との交易を、漆器は専門的な技術をもった人々がいたことを物語る。

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では、縄文時代の住居の様子を見てみよう!→
三内丸山遺跡
 この遺跡の特徴は、「大きい・長い・多い」
 大きい…35f、野球場7つ分  長い…1500年も続いた     多い…出土品は、段ボール4万箱 
三内丸山遺跡には、当時の村の一部が復元されており、生活の様子が分かるようになっている。とても広い。
 
集落へと向かう、道       この道幅は当時の広さ。
   
竪穴住居             約4500年前のもの。
茅葺住居           4500年前は、約100棟、最大500人が住んでいた。

竪穴住居の中の様子       真ん中に炉がある。6畳程度のスペースに4〜5人で住んでいた。

竪穴住居
 土葺住居
竪穴住居
 樹皮葺住居
高床倉庫             地面に穴を掘り、柱を立てて屋根を支えた。 大型住居 
 長さ32m、幅9.8m、78坪の広さをほこっている。200人が集まれる場所である。
大型住居
 集会所や共同作業所と考えられている。
 集団で作業しないと造れない建物→強力なリーダーが存在していた。
大型住居の中の様子
大型掘建柱建物
 物見櫓・灯台・お祭りの施設だったのではないか。海で漁をしている人の目印になったのでは。
大型掘建柱建物
 当時は、今よりも気温が2〜3℃高く、すぐ近くまで海がきていた。
柱穴の跡
  この大型掘建柱建物は、6本の柱で支えられていた。間隔がすべて、4.2mであった。
柱穴は、直径約2m、深さ約2m、中に直径約1mのクリの柱が入っていた。地下水が豊富で、腐らずに残っていた。
次にお墓とゴミ捨て場を見てみよう!
    大人の墓
 だ円形や小判型の穴に埋葬された。中からヒスイのペンダントが出てきた例もある。  足を曲げる屈葬であった。  道の両側2列に規則的に並んでいた。約250基。漁から大人達が帰ってくると、一番最初に出迎える位置にあった。
  子供の墓の説明
 大人とは別の場所に造られた。普段使っていた土器の口を壊して、その中に入れた。土器の中から丸い石が出てくる。丸い石を抱かせることで、もう一度再生してほしいという願いがあるのでは。
  子供の墓
 居住地域に見られる。1歳未満の子供のものが多い。大人の墓が約250基に対して、子度の墓は、約880基見つかっている。いかに大人まで生き抜くのが難しい時代だったかがわかる。
燃えるゴミの捨て場(泥炭層) シカ・イノシシの骨少なく、小動物の骨が多く出た。その他に魚の骨。植物の種から栽培が盛んに行われていたこともわかった。
 宝の山である。
燃えないゴミ捨て場(南盛土) 残土・土器などを捨てた、2.8mの土砂堆積。使い終わった道具を、感謝の気持ちを込めてあの世に送る、神聖な場所。 南盛土の中の様子       幾層にも土砂が堆積し、その中に土器など埋まっている。 燃えないゴミ捨て場(北盛土) 北側にももう一カ所燃えないゴミ捨て場がある。ここで板状土偶が出た。
 さらに、黒曜石(北海道)、ヒスイ(新潟)、こはく(岩手)、アスファルト(秋田)が出土し、交易が盛んであったことがわかる。
三内丸山遺跡の出土品が、資料館に展示してある。
    遺跡の地層を展示した(本物の土)
時代によって、様々な物が埋まっていた様子がわかる。
  人々が食べていたもの     @魚(タイの骨) その他にもブリ・カレイが多い。   A木の実(クルミ)         クリは栽培していた。建築材としても重宝した。

一番多く食べた物は、人骨分析によると、植物性のものである。                 

三内丸山の人々が使っていた道具は? → 時代によって少しずつ変化していった土器があった。その他にも…

B動物(野ウサギ・ムササビ) C酒(ニワトコの実を発向させて酒をつくる) 漆塗り(顔料、赤色)
 漆の木から役を撮る行程が複雑。縄文時代と現在と漆の技術は変わらない。村に専門家がいたのでは。
骨角器
 鹿の骨などを加工して使っていた。海が近く、漁が大変盛んであった。
板状土偶             女性を表す。安産のお守りでは?土偶は完全な形では見つからない。自分の痛い部分を壊したのではないか。   この土偶は、頭と銅体が50m離れたところで見つかっている。

子供の墓             棺に使われた土器
上と下の口をあけた。1歳未満の子供が多かった。

当時の布・ひもが出土。編み方を再現し、この縄文時代の服をつくった。 素材は麻の仲間。
そして、現在も発掘中→        
    環状配石墓
 周りに石を並べた墓。大人の墓よりも立派なものである。リーダーの墓か?
       

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