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藩校(岩槻) 閑谷学校・文武学校    
              
閑谷学校・文武学校を訪ねて〜

 郷学 閑谷学校   閑谷学校とは…岡山藩直営の学校。初めから庶民の学校・地方のリーダーを育てる学校として、1670年に創設された。藩主池田光政が「この地は読書・学問するによし」として、重臣、津田永忠に建設を命じた。 日本最古の公立の庶民のための学校。現存する日本最古の学校建築である。生徒は30〜50人が寄宿舎生活であった。

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閑谷学校 講堂(国宝)
 入母屋造りの堂々とした建物。屋根は備前焼の本瓦葺。
講堂の廊下
 建物は、10本のケヤキの柱で支えられており。その中を「モヤ」といい、生徒はこの「モヤ」にって、講義を受けていた。
講堂内部
 正面の壁に、「定」(国宝)と「朱文公学規」が架けられている。
 講堂の床は、生徒によってピカピカに磨き込まれている。
講堂内部
 毎月一の日(1,11,21)、六の日(6,16,26)の午前10時から、四書の講義が行われた。
 四書とは、儒学で最も大切な経典とされる大学・中庸・論語・孟子のこと。
小斎(しょうさい)
 藩主が来たときの、御成の部屋。質素につくられている。池田光政は、生徒の勉強ぶりを見るため、度々訪れた。
習芸斎(しゅうげいさい)
 学習に使われた部屋。
 毎月三の日と八の日の午後2時から五経の講義が行われた。大切な経典とされる易経、時経、書経、春秋、礼記
飲室
 生徒の休憩室、中央には花崗岩を切り抜いた炉がある。

文庫
 
3重のとびらで守られている。学校の図書をおさめた収蔵庫で生徒には望みしだい貸し出されていた。

学厨跡・習学所跡
 学房内にあった習学所で、毎月、2、4、7、9の日及び講堂や習芸斎での講義の前後には習字や読書の授業が行われた。
石塀
 校地を取り巻き、長さは765mある。石組みは、「切り込み剥ぎ式」と呼ばれる精巧なもの。
聖廟(せいびょう)
 孔子廟ともいい、孔子を祀る。儒学の殿堂の中心。儒教を学ぶ学校では、大切なもの。
校門
 閑谷学校の正門。鶴鳴門と呼ばれている。鯱がのっている。荘厳優美な造りである。
   
手習い
庭訓往来
 江戸時代に寺子屋などの教科書に使用されて廣く流布し、木版で印刷された。南北朝時代に手習いのために作られたもので25通の手紙のもはん文を収録。
   文武学校  (当時のまま現存する唯一の藩校!)   

1853年、外国との関係急迫、国内政治も揺れ動く時期に、松代藩校文武学校ができる。 文武両道を重んじ、賞と罰がはっきりしていた。

松代藩校 文武学校

8才〜30才までの武士(男子)が通った。

文学所 ここでは、漢学を学ぶ。学習の仕方は、@素読(読み方) A質問(内容の解釈) B講義(自分の意見を加えて説明)

文学所の内部
 
毎年12月に殿様の前で1人ずつ、漢字だけで書いてある本を読んだり、質問に答えたりする試験があった。成績は4段階。1番下はやりなおし+きびしいおとがめ(父親にも)  

日割(今の時間割)学年や組はない。何を学ぶか、この日割を見て、おうちの人と決める。午前は8〜12時、午後2〜5時。 1月に始まり、12月に終わる。

すぐ近くにある、松代城を訪ねた…

剣術所
 
様々な流派があり、練習試合も行われた。殿の前で試合もあった。 

弓術所
 
武術では、砲学が必修だった。松代藩が海防に重きを置いていたため。

松代城
 松代藩真田10万石の城 真田幸貫が藩校建設を熱心に行った。

No.12

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