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 1.先土器・縄文時代  2.弥生時代  3.古墳時代  4.飛鳥時代  5.奈良時代
 6.平安時代  7.鎌倉時代  8.室町時代  9.戦国時代 10.安土桃山時代
11.江戸時代 前期 12.江戸時代 中・後期 13.さいたまの江戸 14.江戸時代 幕末 15.明治時代
16.大正時代 17.昭和時代 18.平成時代 19.韓国  20.その他
寛政の改革松平定信(白河藩)      
寛政の改革 大塩平八郎の乱天保のききん天保の改革を追っていく!

松平定信(白河藩)を訪ねて 〜
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楽翁公像
松平定信を祭る 南湖神社にたっている。
定信の像がある、南湖公園
白河藩の城「小峰城」を訪ねてみた。
 
   
近くにある、白河の関    
         

寛政の改革(1787〜93年)

寛政の改革に関するものを、追い求めました。まずは、昌平坂学問所(徳川綱吉の湯島聖堂)                 1790年、松平定信は、朱子学を正学とし聖堂での朱子学以外の学問の講義を禁止した。

湯島聖堂(後の昌平坂学問所) 現在でも、「昌平坂」が残る。
  石川島に人足寄場をつくり、      石川島を訪ねた。
             
石川島を歩いていると…
目の前を隅田川が流れる
写楽の墓
老舗の佃煮やが多い

大塩平八郎の乱(1837年)

大塩平八郎の乱 終焉の地(大阪府堺市を訪ねて…

大塩平八郎 大阪町奉行所の与力で陽明学者としても知られ、世を治める者の政治姿勢を問い民衆の師父と慕われた。1837年2月19日飢饉にあえぐ無告の民を救い政治腐敗の根源を断とうとして、門人の武士、農民等を率いて決起した。

大塩平八郎終焉の地

乱後、平八郎・格之助父子はこの地に隣接した鞭油掛町の美吉屋五郎辺兵衛宅に潜伏したが、1837年3月27日幕史の包囲のうちに自焼して果てた。民衆に呼びかけた檄文は密かに書きうつされ、全国にその挙を伝えた。

現在、天理教の教会になっている。屋敷跡の敷地は、数々の小さなビルが建っている。
          天保のききん        

天保義民の碑(岩手県花巻市大迫町を訪ねて…

近くを流れている 稗貫川
 「稗」の文字が印象的であった。

No.12

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